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朝ドラ

 NHKの朝ドラ「花子とアン」の視聴率が好調だという。花子の友人、柳原白蓮を描いた林真理子の「白蓮れんれん」も20年も前に出版された本にもかかわらず書店で良く売れているようだ。実は、私の居住する地区はドラマで仲間由紀恵が演じる花子の友人柳原白蓮と縁があって、朝ドラが地域の人々の茶飲み話の話題にのぼっている。と言うのも昭和27年にこの村に建てられた戦没者記念碑に白蓮の和歌が刻まれていることが人づてに評判になっているからだ。流麗な白蓮の筆で「かけまくも かしこき斎庭 神ながら 恋しき人の おもかげに立つ」と戦没者への思いが込められた碑文だ。みずからも、早大から学徒出陣した愛児を終戦の4日前に失った白蓮は戦後「国際悲母の会」を結成、非戦運動に取り組んでいた。記念碑の除幕式に当地区を訪れ記念講演を行い、、遺族や村民に感銘を与えたという。
 では、なぜ当時の村の為政者は戦没者の記念碑に白蓮の歌を刻もうとしたのだろうか、なぜ当時の村長が東京の白蓮の自宅を訪ね依頼をしたのだろうか、白蓮もその依頼を受け、当時は相当の時間を要した上田まで、わざわざ来訪してくれたのだろうか、疑問は尽きない。いろいろ調べたり、当時の記憶のある人達に聞いてみたりしたのだが、はっきりした回答は得られていない。ただ、この村(神川村、現上田市)は、かの山本鼎画伯が自由画運動を始めた発祥の地で、その後も中村直人をはじめ多くの優れた芸術家を輩出している。農民美術運動のリーダーも数多く生まれている。また哲学の西田幾多郎や土田杏村を招き自由大学を設立、運営した際も、この村の青年達が中心的役割を担っている。そうした運動を展開し担った人々、あるいは青年時代に影響を受けた人々が戦後の村政の中心に居た。この人々が青年時代、白蓮の歌集を読み、戦後悲母の会で活躍する彼女に白羽の矢を立てたのでは、と想像するばかりである。
 白蓮の活躍した時代、自由画、自由大学の時代から100年が過ぎようとしている。丁度、サラエボの銃声から第1次大戦起こった時期に重なる。この大正デモクラシーと言われた時代からわずか20年で日本は破局の道へと進む。ドイツのワイマール共和国も崩壊する。白蓮も村岡花子も、そして自由画運動や自由大学を担った青年達も時代の波に飲み込まれて行く。井上寿一氏は、格差の拡大、長期の経済停滞、政党政治システムの模索など、当時と今の類似点を指摘する。第1次世界大戦とその後の時期に「戦争とファシズム」の種子が蒔かれたとも指摘する(第1次世界大戦と日本)。
 先人たちに思いを馳せながら「花子とアン」を楽しみに見る。日清・日露戦争と第2次大戦の間の大正時代に興味と関心を深めながら。
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