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八月革命説

 毎年八月のこの時期、平和や憲法論議が論壇で盛んになる。その中で、地方紙(信毎)が憲法制定過程のインタビュー記事を連載しているのを興味深く読んでいる。
 宮沢俊義氏が唱えたいわゆる「八月革命説」だ。紙上では上智大の高見教授が支持する立場で論じている。「ポツダム宣言」を受諾した時点で、主権は天皇から国民に移ったと考えるほかない。そこで断絶があり、法的な意味で革命が起きた、とするものだ。押し付け憲法論の否定の論拠ともされる。これに対し独協大の古関教授が、革命が起こったとすれば体制の断絶があったはずで明治憲法の改正手続きを使うのは無理がある。また革命ならば、その主体は誰だったのか、天皇なのか、マッカーサーなのか、国民なのか、と疑義を呈し八月革命説を否定している。また3回目の小山大月短大教授は「GHQによる押し付け」で憲法無効論を唱えている。
 近代憲法とは、国民主権と基本的人権を謳い、権力の横暴から人間の生命や自由を擁護するものだ、と学生時代から憲法原論などで学んできた。だが近代憲法が成立したフランスでは、専制や王制から人民を解放し人民政府を樹立する革命という歴史の断絶があった。アメリカでも本国の重課税と支配に対する独立戦争による革命を経て憲法制定に到る。そこには革命以前の歴史は間違いで、以後の歴史こそ正しいとする歴史認識がある。一方、イギリスは歴史の断絶がないから成分憲法を持たない。日本国憲法はGHQ案を基に明治憲法の改正という手続きで制定された。課題だった国体の護持は象徴天皇制となった。憲法制定議会では論議が深められ、いくつかの修正もなされた。だが、フランスヤアメリカ型でもイギリス型でもなく日本的な曖昧さを残したまま憲法が制定されたことは否定できない。故に、護憲派と改憲派の論争も繰り返されてきた。憲法や歴史に深い造詣がるわけではないが、そろそろ八月革命説や押し付け論を超える議論が必要と思われるのだが。そんなことに思いをめぐらせていたら、大沼保昭氏が「歴史認識とは何か」(中公新書)を先日出版された。早速、書店で買い求め読んだ。江川紹子さんの問いかけに、東京裁判、元慰安婦問題、戦争責任などについて、「自虐」でもなく「独善」でもない視点の必要性を指摘されている。江川さんの「歴史認識」を問い直すことは、他国との付き合いをうまくやるためでなく、これからの日本がどういう国であろうとするのか、を考えるために重要だ、とする意見に共鳴した。
戦後70年、憲法や歴史認識について今日までの議論を越えた、新しい地平が求められているのでは、と感じた次第である。
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