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「脆弱な日中関係」に思う

 1914年6月28日、ボスニアの首都サラエボで2発の銃弾が撃たれオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フェルナンド大公と大公妃に当たる。二人は命を落とした。ヨーロッパでは、それまでの暗殺事件と同じくテロ事件として終わるだろうと思われていた。だが事態は予想に反して大きく展開する。7月28日、オーストリアがボスニアに宣戦布告する。ドイツが同盟国オーストリアを支持する。ロシアはセルビアに加担する。そのロシアはフランスと同盟を結んでいた。イギリスも参戦する。戦火はとどまるところを知らなかった。足かけ5年にわたり900万人以上の兵士が犠牲になるという常識をはるかに超える第一次世界大戦は、こうしてサラエボの偶発的な銃声をきっかけに始まる。
 1937年(昭和12年)7月7日、北京郊外の盧溝橋で演習中の日本軍に数発の銃弾が撃ち込まれた。そして一人の日本軍兵士が行方不明になったことに端を発し、日中両軍の間で偶発的な小衝突が起こる。一旦は現地で停戦協定が成立する。日中双方とも不拡大を希望しながらも挑発には断固応戦すべく現地軍の増強を図った。だが停戦協定は現地日本軍の連隊長の独断による進軍命令によって破られる。この瞬間、泥沼の日中戦争は既定の事実として始まる。盧溝橋事件は東京裁判でも取り上げられ、研究者の間でも検証作業が行われてきた。最初の銃弾は、中国軍が撃ったのか、日本軍が撃ったのか、蒋介石軍は共産軍の仕掛けなどと主張し真相ははっきりしない。意図的であったか、誤射だったかも不明だ。だが全く偶発的な事件を発端に、意図しなかった形で戦争が起き、以後、事態は拡大の一途をたどる。
 このように戦争は宣戦布告して始まるよりは、偶発的なテロ行為や小競り合いをきっかけに起こることが多い。そしてそれぞれの関係国では事件を沈静化するよりは、行き詰まりを排外主義で解決しようとする政治が目立つようになり、衝突が拡大される。歴史の教訓として受け止めることが必要と思われる。
 中国の全国人民代表大会(全人代)が終了した。原油価格の下落とともに世界経済変調の要因とされる中国経済の建て直しが世界的に注目された。われわれには中国経済の先行きとともに偶発的な軍事衝突がもう一つの懸念だ。中国の李克強首相は終了後の記者会見で「日中関係は脆弱」と述べた。特に海洋進出で南シナ海から東シナ海、尖閣諸島では緊張感が漂っている。領空、領海への侵犯や一昨年起きた火気管制レーダーの照射事件など不測の事態も懸念される。われわれは緊密な日米同盟のもと国際法遵守の姿勢や国土を守る主張を貫くことは言うまでもない。一方で、軍事的、経済的パワーの拡張を警戒しつつも、友好的、協調的関係を追求することを基調に日中関係の改善に努める必要がある。サラエボや盧溝橋などの偶発的な軍事衝突を避けるため、中国と危機管理の実務的協力の体制整備も急がなければならない。また国際協調こそが中国の利益になることを、中国の指導者や国民が認識するような環境をねばり強く作り上げて行くことが大切ではないだろうか。毅然とした姿勢とともに冷静な判断力で日中の信頼関係を一歩ずつ前進させるべきと思われる。

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