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選挙制度の答申

 衆院議議長の諮問機関「衆院選挙制度に関する調査会」の答申が14日に出された。佐々木毅元東大学長を座長とする専門家揃いの調査会メンバーの論議の末の答申で、さすがと肯ける内容に思える。1票の格差是正についてはアダムズ方式で人口動態に合わせて是正するとした。もともと現行の制度発足の時に、各都道府県に一人別枠方式を採用したところから矛盾があり何度も最高裁などからも指摘されていた。ようやく1票格差是正の具体的方策が示されたわけで、与野党は答申の実現に向けて立法措置を急ぐべきだ。
 問題は定数是正の方だ。答申は小選挙区で6、比例選で4削減するとしている。同時に議員定数は、「国際比較や過去の経緯からすると多いとは言えず、削減する積極的理由や理論的根拠は見いだしがたい」と指摘している。だが各党が選挙公約で国民に約束したことを配慮したという。これは各党への痛烈な批判と受け止めるべきではないだろうか。現に先進7カ国の中で下院の議員一人当たり人口はアメリカを除くと日本が圧倒的に多い。各党は消費税引き上げの際、「身を切る改革」などと言って、定数を減らすことで改革姿勢をアッピールすることに腐心した。立法府と行政府との統治の仕組みをどうするか、議員内閣制のわが国では内閣を構成するため大臣、副大臣、政務官など何十人も政府に送り込むことが必要だ。合わせて国会対応も可能な体制が必要だ。地方議会の定数削減議論とは違った視点が求められる。どのような政党政治の姿を目指すのか、どのような議会や統治の仕組みを想定して制度の設計をするのか、本質的議論がなされないまま、人気取りのための定数削減が公約された。今回の調査会の答申は、定数削減は単なる人気取りのためでない冷静な議論を求めていると、読むべきと思われる。
 各党は今回の答申を受けて、直ちに立法措置に向かうべきだ。一部で報道されている小手先の選挙区の境界調整だけで済ませると将来に禍根を残す。各党、とりわけ影響を受ける議員を多く抱える自民党の決断が求められる。同時に、答申でも言外に感じられるように、衆参合わせた統治の仕組み、選挙制度の議論が欠かせない。数年前、衆参のねじれ現象で「決められない政治」が続き憲法制定時の矛盾が指摘されてきた。国民代表機能を並立して持つ院が二つ存在する国はない。衆参の議決が異なる場合の再可決条件の3分の2は適切かどうかなど、衆参の役割分担を議論することが求められる。衆院は人口比で、参院は地域代表の権利を反映するなどの仕組みにすることも考えられる。
 衆院で今回の答申を立法化することや、参院も数県の合区(10増10減)でとりあえず違憲状態は回避される。だがそれは当面の措置と認識すべきだ。本質的な統治の仕組みや選挙制度の議論を深めることがどうしても必要と思われる。そのために今回のような衆院議長の諮問機関でなく91年の第8次審議会の答申以来、設置されていない第9次選挙制度審議会を立ち上げて衆参含めて、あり方の議論を進めるべきではないだろうか。

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2015年政党政治の感想

 戦後70年の今年は安保法などで与野党対立が続き、粛然とは言えない1年だった感がする。1強多弱と言われる日本の政治状況で、安全保障政策をめぐって与野党の激しい対立が続いた。果たして今後、政党政治は有効に機能して行くだろうか。国民の多くが不安を感じているのではないか、と思われる。
 まず結党60年を迎えた自民党の安倍政権は、安保法案、TPPなどの懸案に取り組んだ。沖縄普天間基地移設問題やデフレ脱却などの懸案には解決の見通しが立っていないとは言え、まずは自らが提起した課題について結論を出した。だが多くの課題を抱えているのも事実だ。特に多様で分厚い保守の風土が党内で消えることを懸念する声は強い。まず、この党の伝統であった派閥政治がなくなり議員の集合体になったことのマイナス面が指摘される。派閥による金権体質がなくなったことは歓迎すべきことかも知れない。だが同時に派閥の担っていた総理候補などリーダーの養成機能、議員を雑巾がけから鍛錬する機会などが減った、と評される。また官邸主導の運営になり政調部会などで議員が活躍する舞台が少なくなった結果、専門性の高い議員が減り、政策決定力にかげりが見られる、とも言われる。安保法案でもリベラル派からの懸念の声はついぞ聞かれなかった。人事でも靖国を参拝する人達が優遇されキャッチオールパーテイー(包括政党)としての懐の深さが消え度量の狭さが指摘される。派閥政治や族議員が跋扈する政治からの脱却は必要だ。だが、かつてリーダーや専門性の高い議員が次々に生み出された土壌、伝統は、新しい仕組みを築く中でぜひ引き継いで欲しいものである。官高党低で多様性が薄れ、政権党としてのダイナミズムが失われていないか。安泰と見える自民党だが、抱える課題も深刻と思える。
 野党は、維新の会の分裂、民主、維新の統一会派結成などの動きがあった。だが野党の中心である民主党には、現実性のないマニフェスト、ポピュリズム(大衆迎合)の典型だった政治手法などで国民の支持を失った、あの3年間の政権時代の総括を深めて欲しいものである。その後も政権戦略や政権政策を描き切れず、安保やTPP問題でも党内一致した方針が発信されていない。1度目は自民党の失政で政権交代を実現できた。2度目は磨かれた政権政策がどうしても必要に思われる。最近の世論調査でも明らかなように安倍政権や自民党の支持理由は「他に適当な人がいない」「変わるべき政党がない」という消極的理由がトップだ。つまり民主党など野党には不安で任せられないことが安倍政権の支持率を支えている。まずは国民が信頼できる政策を練り上げることと、合わせて魅力あるトップリーダーも必要だ。非自民、反自民だけでなく政策と人材で政権を競う姿を見せて欲しいものである。野党の脱皮が求められる。
 政権が変わって対外政策や経済政策が根本から変わることでは国家が危機に陥る。日本の二大政党による政権交代が行われた歴史としては、大正末期から昭和初期にかけて政友会と憲政会(民政党)による政権交代が頻繁に行われた先例がある。だがこの時代も二大政党による切磋琢磨はあったが、2,3年ごとの政権交代のたびに対外政策の基本が変わり、日本の対外的信用が失墜した。経済政策でも政権が変わるたびに積極政策と健全財政の採用が繰り返された(坂野潤治 日本近代史 ちくま新書)。結果、軍部や官僚、マスメデイア世論など超越的勢力が台頭し政党政治の崩壊に繋がる。
政権交代可能な二大政党システムは確立するだろうか。各党に不断の自己改革が求められている。昭和初期の政友会・民政党の歴史も教訓にしながら前進して欲しいものである。

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対立の議論で感じたこと

 安全保障観連法案が成立した。この過程で賛成、反対双方の立場で論争が繰り返されメデイアの論調も国民世論も大きく割れた。ある程度、国民的合意がなされ、例え政権交代があっても一貫性が要求される安全保障政策が、今回もまた国民世論やマスコミ、政党間の分断の中で成立したのは残念だった。いつまでも続く55年体制の残滓も感じたが、これから冷静に安全保障政策や憲法の議論を深めたいものである。
 大切なのは国際平和への貢献策や国際社会への関わり方についての議論だと思われる。グローバル化や非国家の軍事組織による殺戮や軍事支配が進む国際社会で、多国間の国際協調が大切になっている現状で世界各国がPKO活動や人道支援、復興支援などで活動している。日本はこれからも憲法上の制約を理由に他国に任せて良いだろうか、という問題意識が必要だと思える。国際情勢を見誤り、国際連盟脱退、三国同盟締結など独善的、場当たり的外交で国際協調に欠けていたことに戦前日本の悲劇があったのではなかったか。その責任は軍部や政治家だけでなく、新聞や国民の熱狂的後押しにあったことを皆で自覚する必要があるのではないだろうか。「国際社会で名誉ある地位を占めたいと思ふ」「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とする憲法前文の要請に応えて行く方策を真剣に検討すべきと思われる。
 また日本国憲法は集団安全保障を前提としていることは通説だ。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」そして9条の「国権の発動たる戦争、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と続く文脈は明らかに世界政府的な国連の集団安全保障の機能を前提にしている。だが国連常備軍は存在せず、加えて常任理事国の拒否権が保障されており、国連による安全保障は機能して来なかった。結果、日本の安全保障政策は国際環境の変化とイデオロギー対立の間の折り合いを付け、憲法の拡大解釈を重ねて対応してきた。また国連の安全保障機能はPKOや国連決議に基づく多国籍軍の編成という形で行われてきた。日本は抑制的で防衛主体の軍事力を保持する姿勢を基調にしつつも、こうした「国権の発動」とは異なる国連への活動に積極的に取り組むことが憲法の要請ではないだろうか。自国が攻撃されないかぎり武力を行使しない、とする姿勢は確かに平和的だ。だが同時に日本人の命は大事だけれども他の国の人の命は大事ではない、とする考え方に繋がるのではないか、とする指摘もある(植木千可子「平和のための戦争論」ちくま書房)。個別的、集団的自衛権の差異や違憲論争などの議論も大切だが、国際協調による平和活動や集団安全保障機能の強化についてさらに議論を深める必要があると思われる。
 今回の法案をめぐる議論では、安倍総理の歴史観に何となく危うさを感じる部分もあり、これからの国際社会との関わり方についての議論が深まったとは言えない。また日米同盟について他の選択肢はあるのか、中国の海洋進出や北朝鮮の核脅威などにどう対応すべきか等、イデオロギー対立を超えた国民的合意に向け抽象的ではなく具体的議論が必要と思える。それは日本がこれから国際社会とどう付き合って行くかという基本的な問題だ。多様な意見の存在は民主主義にとって歓迎すべきことだが、国際社会との関わりについては従来からの保革の対立、護憲派と改憲派の対立を超えた、ある程度の共通項を見出すことは不可能だろうか。
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八月革命説

 毎年八月のこの時期、平和や憲法論議が論壇で盛んになる。その中で、地方紙(信毎)が憲法制定過程のインタビュー記事を連載しているのを興味深く読んでいる。
 宮沢俊義氏が唱えたいわゆる「八月革命説」だ。紙上では上智大の高見教授が支持する立場で論じている。「ポツダム宣言」を受諾した時点で、主権は天皇から国民に移ったと考えるほかない。そこで断絶があり、法的な意味で革命が起きた、とするものだ。押し付け憲法論の否定の論拠ともされる。これに対し独協大の古関教授が、革命が起こったとすれば体制の断絶があったはずで明治憲法の改正手続きを使うのは無理がある。また革命ならば、その主体は誰だったのか、天皇なのか、マッカーサーなのか、国民なのか、と疑義を呈し八月革命説を否定している。また3回目の小山大月短大教授は「GHQによる押し付け」で憲法無効論を唱えている。
 近代憲法とは、国民主権と基本的人権を謳い、権力の横暴から人間の生命や自由を擁護するものだ、と学生時代から憲法原論などで学んできた。だが近代憲法が成立したフランスでは、専制や王制から人民を解放し人民政府を樹立する革命という歴史の断絶があった。アメリカでも本国の重課税と支配に対する独立戦争による革命を経て憲法制定に到る。そこには革命以前の歴史は間違いで、以後の歴史こそ正しいとする歴史認識がある。一方、イギリスは歴史の断絶がないから成分憲法を持たない。日本国憲法はGHQ案を基に明治憲法の改正という手続きで制定された。課題だった国体の護持は象徴天皇制となった。憲法制定議会では論議が深められ、いくつかの修正もなされた。だが、フランスヤアメリカ型でもイギリス型でもなく日本的な曖昧さを残したまま憲法が制定されたことは否定できない。故に、護憲派と改憲派の論争も繰り返されてきた。憲法や歴史に深い造詣がるわけではないが、そろそろ八月革命説や押し付け論を超える議論が必要と思われるのだが。そんなことに思いをめぐらせていたら、大沼保昭氏が「歴史認識とは何か」(中公新書)を先日出版された。早速、書店で買い求め読んだ。江川紹子さんの問いかけに、東京裁判、元慰安婦問題、戦争責任などについて、「自虐」でもなく「独善」でもない視点の必要性を指摘されている。江川さんの「歴史認識」を問い直すことは、他国との付き合いをうまくやるためでなく、これからの日本がどういう国であろうとするのか、を考えるために重要だ、とする意見に共鳴した。
戦後70年、憲法や歴史認識について今日までの議論を越えた、新しい地平が求められているのでは、と感じた次第である。
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背景

 折から安全保障法案の国会審議の山場で、かねてから自民党に懸念されていたことが露呈した。百田尚樹氏を講師に開かれた勉強会でマスコミ批判が噴出したことである。百田氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と発言し、出席した議員からは「マスコミを懲らしめるためには広告料収入を絶つのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すれば良い」などの発言が相次いだ、とされる。
 かねてから安倍総理、安倍政権には歴史認識が懸念されていた。安倍首相は、戦後レジーム脱却を訴えたり、「侵略という定義は定まっていない」と発言したり、靖国参拝と合わせ、その歴史認識が危ぶまれてきた。この70年間、日本政治は左右の勢力の対立もあったが、戦後民主主義の果実の上に、国民のコンセンサスが形成され安定社会が築かれてきた。安全保障分野でも防衛的で抑制的な姿勢が貫かれてきた。安倍政権でも懸念されていた歴史観は別に、具体的政策の実行段階では、その伝統が受け継がれ、大筋、国民の同意も得て支持率も高い水準を維持してきた。
 だが懸念されるのは信条優先の人事の偏りだと指摘される。NHKの会長に籾井勝人氏、続く経営委員に百田尚樹氏や長谷川三千子氏等「東京裁判史観」批判を展開したりする人たちを選任した。また今年、安倍内閣の女性閣僚3人が揃って靖国参拝し、歴史観の異なる自民党女性議員は閣僚ポストから遠ざけられた、とする見方もあった。自らの価値観に近い人を重用し、ポスト任命の基準にする志向が目立っていた。今回の安倍再選を目指す「文化芸術懇話会」のメンバーも、こうした歴史観を持つ人が多いという。異なる意見を持つ人を排除したり遠ざけるのではなく、多様な意見に耳を傾け人材の登用も図る、謙虚で度量の大きさこそが求められる。生き生きした組織運営のためには、内部に多様性を抱え活発な議論が行われることが絶対的に必要という。
 皮肉にも安保法案の審議を混乱させ政権批判をもたらした今回の一連の動きの背景に、歴史認識や人事政策の影響を感じてしまうのである。
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地方統一選雑観

 地方統一選が終わった。多くの問題点が識者やメデイアから指摘された。場当たり的な修正で済む問題でなく抜本的な改革の必要性が顕在化した選挙だったと思える。
 前半の知事選では10人の内8人が当選4回以上で多選が目立った。41の道府県議選では全選挙区の3分の1が無競争、総定数の5分の1が無投票当選となった。後半の政令市以外の市町村の選挙でも89市長選で約3割、122町村長選で半分近く、373町村議選でも4分の1が無投票当選となった。また投票率も記録的な低さだった。
 常態化している候補者不足、記録的な低投票率など地方自治が深刻な危機に瀕していることを示した選挙だった。かつては村落や地域の名望家や信望の厚い人などが推されて首長や議員になることが多かった。だが地域社会の変貌に伴い、こうした仕組みは有効性を失い、結果、首長や議員のなり手は限られ資質の低下をもたらしている。議会の多くは首長提案の議案を追認するだけの存在になっている。かつて改革派と言われたある知事が、学芸会のような議会、と揶揄したこともあった。また高額な議員報酬、物見遊山的な視察、政務調査費の不適切な支出など、地方議会に対する批判は絶えない。まさに存在理由さえ問われる事態になっているのが現状ではないだろうか。
 こうした危機に地方議会みずからが改革に取り組むべきだが、どこの議会でも、わずかな定数削減など小手先の対応で終わってきたのが現状だ。地方に任せていても残念ながら改革が進むとは思われない。この際、中央からも積極的に改革の切り口を提起すべきと思われる。13年に改正したばかりだが公職選挙法で定める選挙区基準の見直し、条例で定めるとされる定数の見直しなどについて、例えば大中選挙区制導入などを検討すべきと思われる。またアメリカやスウェーデンなど各国で行われているように議会の開催を夜間や週末にするなどして、サラリーマンや子育て世代など幅広い人材が立候補出来る仕組みも検討すべきと思われる。
 明治4年の廃藩置県で旧大名が廃され、藩札が政府紙幣に交換され明治維新がほぼ完成する。当初302県3府だったが明治22年43県3府に再編され今日に至っている。この100年以上続いた中央集権体制の仕組みを改め、地方の自立や分権が叫ばれて来たが道州制など改革論議も停滞している。地方創生と言うけれども、担うべき首長や議会は対応出来るだろうか。候補者不足、無投票、低投票率、深刻な現状が浮き彫りになった地方統一選だった。
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「花見の会」

 久しぶりに旧友達が東京で「花見の会」と称した懇談の会を開き案内状を送ってくれた。勇んで参加した。かつての友人達が10数人集まっていた。当時、一線の記者だった報道界の人達は皆、編集や解説を担当する幹部社員になっていた。良く勉強会などでお世話になった大学教授の方々は、今も学界や論壇などで活躍されていて情熱は相変わらずの様だった。大きな窓からは満開の花と行き交う花見客が見られる絶好のアングルの小さな部屋で、杯を傾けながらの会だった。安部政権の評価から野党再編など幅広い範囲に話題は弾んだ。
 出席者の一人に憲法調査会会長を務める保岡興治衆院議員が居た。保岡氏は、国家緊急事態の条項を憲法改正の優先課題とすべき、と持論を述べた。「東日本大震災では、特別立法で東北の地方自治体の選挙を延長したり首長や議員の任期を延長した。阪神淡路大震災の時も兵庫県議会議員選挙が延長された。もしこのような巨大震災が国政選挙の直前に発生したらどうなるか。国政選挙や国会議員の任期を延長しなければならない。ところが憲法にはこうした規定がない。憲法の規定を法律で改めることは許されない。こうした国家緊急事態についての憲法改正の議論を速やかに始めるべきだ」と用意されてきたペーパーを配布して熱っぽく語られた。
 国家緊急権は多くの国で規定されていて日本国憲法の欠陥だとする指摘がある。国会や憲法学者の間でも容認説、否定説など長年にわたって論議されてきた。保岡会長は正面から国民議論を始める決意のようだ。出席者からは立法の手法や中身について、さまざまな角度から意見が出された。
 憲法問題は長い間、9条をめぐる護憲派と改憲派の対立で議論が噛み合って来なかった。ただ例えば第7条の国事行為の「国会議員の総選挙の施行」とあるが参院に総選挙はない、また私学助成が89条違反であることも指摘されている。こうした憲法制定時の事務的ミスは早く改正すべきだ。さらに59条の衆院の可決法案が参院で否決された場合の再可決用件の3分の2という高いハードルが、決められない政治の元凶になってきた。緊急事態と合わせ議論を進めるべきだ、などなど出席者から発言が相次いだ。
 保岡氏の出席で憲法が話題の中心になった。百花繚乱、議論百出、楽しい会話を交わし勉強もさせてもらった「花見の会」だった。田舎暮らしの私は、久方ぶりに心地良い知的刺激を受けて帰路についた。
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総選挙と政党

 94年に成立した政治改革法は、実に6年の歳月を要し海部・宮沢・細川・羽田・村山の5代の政権によって最重要の課題として取り組まれた。小選挙区比例代表並立制の導入、政治腐敗を絶つための政治資金規正法の抜本改正、企業や団体などとの過度の癒着を排除することや政党の自立を促すための政党助成制度の導入などであった。新制度では、金権政治や派閥政治が横行していた自社55年体制に代わり、政権獲得をめざす競争が政党間で展開されることが期待された。そのための政策が磨かれ、政策中心の競い合いになることも期待された。首相候補などトップリーダーや人材の育成も政党の重要な任務となった。
 こうした制度の期待に対し、この間の政党の取り組みはお寒い限りの現状に見える。選挙直前に慌てて公募で候補者を募集し候補者数確保に四苦八苦する政党、対抗する総理候補も不明確のまま選挙戦が戦われる現実、選挙前に繰り返される政党や政治家の離合集散。有権者は政権と与党の実績を評価し政権交代を判断する。それによって政策転換を図る、というのが制度の内包する仕組みだ。突然の解散で準備不足だったとする言い訳は政党としては通用しない。日頃の政党運営の怠慢と言わざるを得ない。
 報道各社は早くも序盤戦の世論調査を行って、与党優勢を伝えている。有権者から見れば、政権を選択する衆院選挙で、政権戦略、政権政策が野党から明確に示されていない以上、選択の仕様がないのが現状だ。野党各党は、選挙結果にかかわらず政党運営について抜本的見直しに取り組む必要があると思われる。与党も、仮に今回の選挙で勝利したとしても国民の強い支持があったなどと慢心しないことだ。政権担当能力も政権政策も疑問視される野党に対し、選択の仕様がない支持が相対的に集まっているに過ぎないことを自覚すべきと思われる。また与党としては、耳障りの良いバラ撒き政策ではなく社会保障費の削減など財政再建などについても訴える責任があることは当然だ。
 与野党とも政党改革を実行し、次回総選挙では政策と人材で政権を競う姿を見せて欲しいものである。
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人口減少問題

 人口減少問題が大きな課題としてクローズアップされるようになった。増田寛也氏を座長とする日本創生会議人口問題検討分科会の試算と緊急提言が具体的な課題を提起したことが問題意識を加速させた。試算では、地方から大都市圏への人口流入が続けば2040年には若年女性(20~39歳)の数が半数以下になる自治体が896(49,8%)の上り、こうした自治体の存続問題が浮上する、と指摘した。
 こうした指摘などもあり、政府は「まち・ひと・しごと創生本部」を発足させ、若い世代の就労、結婚、子育ての支援や、東京一極集中の歯止め、地域課題の解決などに取り組むという。また「輝く女性応援会議」も発足させ女性の社会進出を図るという。今国会には地域再生法案も提出された。こうした取り組みに対し、早速、従来型の補助金のばら撒きへの懸念などが各界から出されている。また人口減少地域に投資する企業は限られ、地域再生はそう簡単ではない、などと多くの課題が指摘されている。こうした指摘はそのとおりだと思うが、果たして人口問題に対する危機意識、問題意識が政治家をはじめ国民に共有されているだろうか、ということこそが心配される。人口問題は、相変わらず当面利益、目先課題に明け暮れる政治、行政の体質が問われているのではないか。自分の任期中は目先課題に取り組めば、根本問題は先送り出来るとしてきた中央・地方の長や議員など政治家、自分の在職中は乗り切れるとして抜本対策を怠ってきた官僚・役人、税制や社会保障問題だけでなく、地域課題についても将来よりも当面の自分の利害を優先して選択してきた国民。こうした政治家も役人も国民も総ぐるみの場当たり体質によって、根本的課題は常に先送りされてきたのではなかったか。結果、他国に類例を見ない少子高齢化と膨大な財政赤字を招いただけでなく、人口問題という将来の国・地方の存立すら危うい事態を招いてしまったのではなかったか。
 今や人口問題から逃げることは許されない。国民の自覚とともに、中央・地方の政治家の水準や資質の程度が問われる課題と思える。
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内閣改造感想

 今は在京生活の高校時代の友人3人が先日、久しぶりに故郷に来た。ゴルフを楽しんだ後、新幹線の最終まで夕食を共にした。友人たちはいずれも民間企業で海外勤務などを経験し、役員にまで昇りつめ数年前に退任した共通の経歴を持つ。昔の話などの話題が一巡した後、内閣改造直後だったことから、話題は自然にそちらに転じた。「大臣が1~2年で交代するけれど思い切った仕事など出来るわけないね」「経験から言っても自分の思いを実現出来るには3~4年はかかるよ」などと改造には疑問の声ばかりが行き交った。
 第2次安倍改造内閣がスタートし世論調査では高い支持率を回復した。総裁経験者の谷垣氏を幹事長に据えた党役員人事、石破氏の処遇や女性閣僚の起用など新鮮さと安定感が評価されたとされる。この体制で直面する難題に対処し着実に政策が遂行されて行けば、国民にとって歓迎すべきことだ。しかし、そもそも改造の目的は何か、改造は何故必要だったのか、という疑問に答えて欲しいと思うのも当然だと思われる。内閣改造は派閥バランスを取るためだったり、入閣待望組の処遇のために行われてきた歴史がある。果たして大臣は、全国の経済、社会状況を把握し、国際情勢にも通じ、短い任期で仕事が出来るだろうか。確かに国会議員としてその部門の活動を重ね、専門家として精通していることは否定しない。だが、さらに政策を磨いたり、内外の人間関係を築き組織を把握したりするためには、ある程度、時間を必要とするのも確かだ。友人たちが指摘したように改造が定例化している政治構造の見直しも必要ではないだろうか。
 その最大の眼目は政党の党首の選び方だ。総裁任期が総理の任期と一致しないのはどう見てもおかしい。小選挙区比例代表制は政党を選択し、総理を選ぶ選挙制度だ。各党は選挙にあたって政策と総理候補を明確にして選挙に臨むべきことは言うまでもない。国民が選んだ総理を、政党が党大会で当たり前のように首のすげ替えを行う今の仕組みは、国民が納得できるものではない。政党は国民に選ばれる総理の重みに配慮し、党の総裁や代表選びの規則を検討すべきと思われる。制度に見合う改革が求められていることを自覚し対応することは政党の責務だ。今回の改造は、安部総理が次期総裁選の布石を打った面もあるとされる。選ばれた総理は党内統治のための内閣改造には慎重さが求められる。
 友人たちとの会話を通じての感想である。
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